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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2519号 判決 1967年7月25日

第二五一九号事件控訴人・第四六八号事件被控訴人(原審原告) 三田用水普通水利組告

第二五一九号事件被控訴人・第四六八号事件控訴人(原審被告) 国

第二五一九号事件被控訴人(原審被告) 東京都

原審被告両名補助参加人 サツポロビール株式会社

主文

本件各控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人三田用水普通水利組合と被控訴人東京都との間に生じた費用および参加に対する異議によつて生じた費用は控訴人三田用水普通水利組合の負担とし、控訴人三田用水普通水利組合と控訴人国との間に生じた費用は各自の負担とし、参加によつて生じた費用は参加人の負担とする。

事実

昭和三六年(ネ)第二五一九号事件控訴人、昭和三七年(ネ)第四六八号事件被控訴人(以下原審原告という)訴訟代理人は、昭和三六年(ネ)第二五一九号事件につき「原判決中原審原告敗訴部分を取り消す。被控訴人国、同東京都との間で、原審原告が原判決別紙第二目録記載の水利権を有することを確認する。被控訴人東京都は、原審原告に属する原判決別紙第一目録記載の土地の所有権および同第二目録記載の水利権を侵害してはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を、昭和三七年(ネ)第四六八号事件につき控訴棄却の判決を求めた。昭和三六年(ネ)第二五一九号事件被控訴人、昭和三七年(ネ)第四六八号事件控訴人国(以下国という。)訴訟代理人は、昭和三六年(ネ)第二五一九号事件につき控訴棄却の判決を、昭和三七年(ネ)第四六八号事件につき、「原判決中国敗訴部分を取り消す。原審原告の請求はいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも原審原告の負担とする。」との判決を求めた。昭和三六年第二五一九号事件被控訴人東京都(以下東京都という)訴訟代理人は、同事件につき控訴棄却の判決を求めた。

各当事者の事実上の主張証拠の提出、援用、認否については、つぎに付加するほか原判決の事実摘示のとおり(但し、原判決別紙第一目録中「東京都玉川上水笹塚原樋(引水口)から」の下に「世田谷区」を挿入する。)であるからこれを引用する。

一、原審原告訴訟代理人は、次のとおり述べた。

(一)  補助参加人の参加申出について

原審被告ら補助参加人サツポロビール株式会社(以下補助参加人という。)の参加に異議がある。補助参加人は本件の訴訟の結果につき利害関係を有する者ではない。また、被参加人である国および東京都は本件用水に私権としての水利権が成立することを否定し、国は原判決別紙第三目録記載の物件は国の所有であると主張し、補助参加人と被参加人は利益が相反するものであるから、本件補助参加は許されるべきものでない。

(二)、補助参加人の本案前の抗弁について

補助参加人の主張を争う。原審原告は、明治年間に水利組合条例の施行により公法人である普通水利組合となつたけれども、享保九年以来の水利団体として、その目的、組合区域、構成員、その有する権利の内容、性質等の実体関係にはなんらの変化はなかつた。しかして、その事業の目的、内容は、かんがい、排水を中心とするが、その水利権の行使は、右の公共目的に反しないかぎり雑用水としても自由に使用できるのであつて、水利組合条例が施行される前から一定水量を工業用、雑用として構成員や第三者に供給していた特殊性を有する。したがつて、右の公共目的である農業用水の需要が減少するにつれて必然的に水利権行使の自由の範囲が拡大されたのであつて、昭和初年に組合が本来の目的であるかんがい排水事業を廃止しても、昭和二七年八月三日に解散するまで現実に水利施設を所有し、水利権を行使して供水事業を行なつてきた以上、社団である組合自体が消滅したことにはならない。また、原審原告の組合員は、組合区域の土地所有者であり、組合区域は明治二三年に制定された三田用水普通水利組合規約第三条に規定する区域であつて、同区域の土地は、それが宅地化あるいは商工業地化されたとしても当然に組合区域でなくなるものではなく、右区域内の土地の所有者は、現実に本件上水をかんがい用として利用してなくても組合員たる資格を失うものではない。したがつて、組合におけるかんがい排水事業の廃止が当然に組合員の欠乏を招来するものでもない。このように本来の事業が廃止された以上、水利組合は解散すべきであつたかもしれないが、普通水利組合はこれを廃止するには水利組合法第一五条の規定により組合会議の議決と都道府県知事の許可が必要であり、かつ、民法上の義務を完了しなければならないものであるから、昭和二四年法律第一九五号土地改良法並びに同年法律第一九六号同法施行法に基づき昭和二七年八月三日に解散するまでは、原審原告は存続し、適法な管理者の下で事業を行つていたのである。本件訴は、右の解散前である昭和二七年七月二一日に当時の品川区長であり、東京都知事から組合管理者に指名された鏑木忠正が適法な権限に基づき組合代表者として提起したものである。よつて、同人らが三田用水普通水利組合を僣称して訴を提起したものであるとか、鏑木忠正には組合代表権がなかつたとかいう補助参加人の主張は理由がない。

(三)、本案について

(1)  水利権について

原審原告の有する水利権は、流水に対する管理処分権であり、利用権としての水利権は組合員に属するものである。したがつて、特定の使用目的に限定されるのは組合員の水利権(利用権)であり、組合の有する管理処分権たる水利権は、水利施設を通じて支配する一定量の水を包括的に管理処分して利用者に供給することを内容とするから、特定の具体的用途に限定されない。原審原告の前身である徳川時代の水利団体三田用水組合の水利権はかんがいの目的に限定されたものではなかつたし、岩崎、毛利、北白川家から原審原告が譲り受けた水利権はかんがい用のものではなかつたが東京都はその譲り受けを承認したのである。要するに、組合の有する水利権は、慣行水利権であり、原審原告の前身である徳川時代の水利団体の有した水利権とその内容は異らないのであつて、かんがいの用途が消滅しても、用水の管理処分権の主体である原審原告が存続し、水利施設を維持、管理している以上水利権が消滅することはありえない。

補助参加人が、その主張の水積を引水する権利を有することは認めるが、右は第一審原告の水利権に消長をきたすものではない。

(2)  本件土地(水路敷)について

徳川時代においては、土地に対する支配権である「所持」と「支配進退」とは一致しているのが原則であり、本件土地について、両者が分裂する例外的な場合をもつて論ずるのは誤りである。原審原告の前身である水利団体三田用水組合は本件土地につき所持==支配進退の権利を有していたものであつて、明治時代に入り所有権者となつたのである。

別紙第一目録記載の本件用水路敷地は、明治年間に官有地編入処分がなされたこともなく、官有地台帳にも登載されなかつたものであるから、原審原告の前身である水利団体三田用水はその所有権を失うことはなかつた。このことは、本件土地につき地券が発行されず土地台帳に本件土地が登載されなかつたとしても同じである。

二、国訴訟代理人は次のとおり述べた。

徳川時代における土地に対する物的支配権としての「所持」と「支配進退」とはその内容を異にするし、両者は必ずしも同一人に帰属していたわけではない。原審原告の前身である農民の水利団体が享保年間に幕府から水利権を与えられた際、その水路敷につき賦与された権利は、支配進退(目的に従つて直接土地に対して使用収益する力、近代法にいう占有権に最も近いもの。)であつて、所持(入質等の処分、使用収益等の強力な支配力、近代法にいう所有権に最も近いもの。)まで与えられたものではない。本件水路敷に対する「所持」は幕府が引続きこれを保有し、その後右水路の施設の費用を農民が負担するようになつたとしても、幕府が「所持」を放棄し、または前記水利団体に所持を与えたことはない。明治維新後は、右の幕府の所持は国に引継がれ、本件土地は国有地となつたものである。明治初年本件土地に対して地券が発行されなかつたのは、民有地と認められなかつたからであつて、用水路でも民有であれば個人有であるか団体有であるかを問わず地券は発行されたのである(明治七年太政官布告第一二〇号)。なお、地券は土地所有権の証明手段ではなく、所有権帰属の要件として扱われたのである。

三、補助参加人訴訟代理人は次のとおり述べた。

(一)  補助参加の理由

本件において原審原告は国および東京都に対し、原判決別紙第二目録記載の水利権を有することの確認を求めているが、右のうち水積五八坪一一三の水量については、参加人が水利権を有するものである。また、原審原告は、予備的請求として、国に対し不当利得の返還を請求し、国は原審原告所有の本件水路施設(原判決別紙第三目録記載の物件)の所有権を附合により取得し、原審原告は右物件の時価相当額の損害をこうむつたと主張するが、右の物件中別紙目録記載の物件は補助参加人の所有に属するものである。したがつて、参加人は、本件訴訟の結果につき利害関係を有する者である。

(二)、原審原告に対する本案前の抗弁等

(1)  本件訴訟は、三田用水普通水利組合の名を僣称する数人の私人による訴であるから当事者能力を欠くものとして却下さるべきものである。すなわち、三田用水普通水利組合は、水利組合法第五条の規定によりかんがい排水事業を行なうことを目的とするものであり、同組合の組合員は組合が現実に行なうかんがい排水事業に依存し、もしくは依存すべき土地所有者であるところ(同法第六条)、昭和初年に至り、組合区域に属する土地が悉く宅地化したため、組合は事業の遂行が不能となり解散事由を生じ、一方組合員たる資格を有する土地所有者が存在しなくなる結果となつた。そこで、社団法人たる三田用水普通水利組合は、その頃組合員欠乏により解散し、清算事務遂行のための清算法人がこれに代ることになつた。しかるに、組合に関係ある少数の者は、組合の実体がなお存続するかのように装い、「三田用水普通水利組合」の名を僣称して、工業用、雑用の給水事業を続けてきた。そして、鏑木忠正は昭和二二年四月一二日品川区長となり都知事の指定により組合の管理者になつたとして、三田用水普通水利組合の代表者名義で本件訴を提起したが、当時は既に組合の実体は消滅し、解散していたのであるから、品川区長により代表される組合の実体を欠き、都知事の右の管理者の指定は無効である。したがつて、鏑木忠正が管理者としてした行為は、数名の組合関係者が僣称する「三田用水普通水利組合」のための行為であつて、清算法人である本来の三田用水普通水利組合とはなんら関係のないものであり、本件訴訟の原告は、本来の清算法人三田用水普通水利組合ではなく、前記のとおり「三田用水普通水利組合」を僣称する数名の者とみるべきである。ところで、かかる数名の者の集団は、単なる個人の集りで、個人から独立した存在を認めうる社団といえないことが明らかであるから、本件の原告は当事者能力を有するものではない。したがつて、本件訴は却下されるべきである。仮りに、原審原告が右のような個人の集団として当事者能力を有するとしても、本来の三田用水普通水利組合とは関係がなく、本件水利権者および用水路施設所有者となるはずがないから、その請求は棄却されるべきである。

(2)  仮りに、本件の原告が清算法人である三田用水普通水利組合であるとすれば、前記のとおり東京都知事が品川区長であつた鏑木忠正を原審原告の管理者と指定したのは無効であつて、同人は清算法人である原審原告を代表するなんらの権限も有しない者である。よつて、同人が代表者として提起した本件訴は不適法な訴として、却下されるべきである。

(三)、本案について

原審原告主張の水利権中水積五八坪一一三の水量は、原審原告の水利権に属するものではなく、補助参加人がこれにつき水利権を有するものである。すなわち、右の水積五八坪一一三のうち三二坪二八二の水利権は、補助参加人が原審原告の承認を得て明治三三年四月三〇日目黒村三田用水から買収したものであり、二五坪八三一の水利権は補助参加人が昭和八年一月二一日原審原告に金七、五〇〇円を寄付した際に譲渡を受けたものである。つぎに、原審原告は、国に対する予備的請求において原判決別紙第三目録の物件は原審原告の所有であつたと主張するが、右の物件のうち別紙目録記載の物件は、原審原告の所有ではない。すなわち、補助参加人は、三田用水を汚染から防ぐため、原審原告の承認を得て、右用水を暗渠にすることとし、補助参加人の費用で笹塚原樋から参加人の分水口までに別紙目録記載のコンクリート管等を埋設したもので、右の施設は参加人の所有に属するものである。しかして、補助参加人の右の工事は権原に基づいてなされたものであるから、補助参加人は、その敷地の所有権が誰に帰属しようと、コンクリート管等の所有権を附合により失うものではない。

四、証拠<省略>

理由

第一、補助参加に対する異議について

補助参加人が参加の理由として主張するところは、原審原告が国および東京都に対して確認を求める水利権中水積五八坪一一三の水量については、補助参加人が水利権を有し、かつ、原審原告が国に対する不当利得返還の予備的請求において附合により国の所有に帰したと主張する原判決別紙第三目録の物件中別紙目録<省略>記載の物件は補助参加人の所有であるというにある。右の主張からみれば、本件において国および東京都が敗訴すると、将来参加人が右の水利権および物件につき自己の権利を主張するうえに不利益な影響を受ける恐があるというべきであつて、補助参加人は本件訴訟の結果につき利害関係を有する者と認められる。原審原告は、本件水利権の存否および前記物件の所有権の帰属につき補助参加人が参加の理由として主張するところと被参加人の主張とは矛盾し、利益が相反するから補助参加は許されないと主張するが、本件においては、原審原告の主張する水利権および不当利得請求権を否定し、これを敗訴させるにつき国および東京都と補助参加人とは共通の利益を有するものということができるのであつて、補助参加人と被参加人との間で将来利益が相対立することが予想されようとも、本件につき補助参加を許すことの妨げとはならない。

よつて、サツポロビール株式会社の補助参加を許可する。

第二、補助参加人の本案前の抗弁等について

三田用水普通水利組合は、水利組合法(明治四一年法律第五〇号)第五条の規定に基づき、かんがい排水に関する事業を行うことを目的とする社団法人であり、同法第六条の規定により右の組合事業により利益を受ける土地をもつてその区域とし、その区域内に土地を所有する者をもつて組合員とするものであること、三田用水普通水利組合の組合区域に属する土地は田畑が減少し、昭和初年に至り全部宅地化された結果、同組合員の目的とするかんがい排水事業は廃止され、その後本件用水はもつぱら雑用、工業用として使用されるに至つたことは、当事者間に争いがない。しかして、成立に争いがない甲第一号証の一、二、第二号証の一ないし三、第六号証の一ないし一四五、第九号証の一、二、第一〇号証の一ないし四五、第一八号証、第一九号証の一ないし一七、乙第一、第二号証、丙第一号証、原審証人小野惣次郎、同武田徹太郎の証言、原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果を総合すると次の事実が認められる。

享保九年、当時の上目黒村、同村上知、中目黒村、下目黒村、中渋谷村、下渋谷村、白金村、今里村、三田村、代田村、上大崎村、下大崎村、谷山村および北品川宿の農民は徳川幕府から玉川上水の分水である三田用水を田畑のかんがいに使用することを許され、右の一四ケ村を構成区域、同区域の農民を構成員として水利団体である三田用水組合を設立し、同組合が三田用水を管理した。右の組合は、明治二三年水利組合条例の施行により普通水利組合として公法人となつたが、組合の目的、構成区域、構成員等の組合の実体は従前と変わるものではなく、さらに、明治四一年水利組合法が施行され、同法により設置された普通水利組合とみなされるに至つてもまた同様であつた。ところで、三田用水普通水利組合は、少くとも水利組合条例施行以前からかんがいに支障をきたさないかぎり組合員に水車用その他の雑用、工業用に用水を使用することを認め、組合の収入の多くは右の雑用、工業用の用水料に依つていたものであつたところ、次第にかんがいの用途は減少し、昭和初年に至つては従来の組合区域は全部宅地化され、同区域の土地所有者でかんがい用に三田用水を使用する者は皆無となつた。しかしながら、三田用水普通水利組合は、それ以後も依然として同用水路を自己の費用で維持、管理し、使用料を得て雑用、工業用に同用水を供給し、業務を継続して昭和二七年に至つたものである。その間東京市あるいは東京都は同組合から玉川上水分水料を徴収し、東京都長官が同組合の使用料徴収規則等の改正を許可したこともあつた。

右の事実からみると、三田用水普通水利組合は、昭和初年その設立目的であるかんがい排水事業を廃止したものであるが、その後も引き続き用水路および流水を管理して給水事業を継続し、監督官庁等も同組合が存続するものとして取扱つていたことが認められるのであつて、目的事業の廃止とともに組合の実体が当然に消滅したものということはできない。また、水利組合法第一五条第一項によれば、普通水利組合の廃置分合または区域の変更は組合会の議決または協議により知事の許可を得て行なうものとされており、その手続を経ないかぎり、当然に普通水利組合の組合区域が消滅したり、組合が解散になることはないものと解されるところ、右の手続を経たことが認められない本件にあつては、三田用水普通水利組合の組合区域が農地の消滅とともに全部自然消滅したものと認めることはできないし、組合区域の土地所有者で組合が事実上行なう事業により利益を受ける者が存在したことがうかがわれる以上、組合員がかんがいのために水を利用することを止めたとしても、その全員が資格を失つたとも断じ難い。また、組合は昭和初年、その目的事業が廃止されたときに解散すべきであつたというべきであるが、前記の規定に基づく手続を経たことが認められない以上、組合は解散することなく存続したものと認められ、土地改良法施行法第九条、第二条の規定に基き、同法施行の日から三年を経過した昭和二七年八月三日に至つて解散したものというべきである。しかして、本件訴が提起された同年七月二一日当時は、鏑木忠正は品川区長の職に在り、東京都知事から三田用水普通水利組合の管理者に指定されていたことは当事者間に争いがないから当時同人は同組合につき適法な代表権を有していたものというべく、本件訴は、右鏑木忠正が解散前の同組合の代表者として提起したものであることは本件記録に徴し明らかであるから、右訴提起の効力は三田用水普通水利組合について生じたものというべきである。以上のとおりであるから、三田用水普通水利組合が昭和初年に消滅あるいは解散したことを前提とし、本件訴訟の原告は鏑木忠正ら数人の個人であるとし、そうでないとしても訴提起の当時鏑木は三田用水普通水利組合を代表する権限を有しなかつたとする補助参加人の主張は採用できない。

第三、国および東京都に対する水利権確認の訴ならびに東京都に対する水利権妨害予防の訴について

一、国および東京都の本案前の抗弁について

当裁判所も原審原告が国および東京都に対し本件水利権の存在確認を求めるにつき、利益を有するものと認め、その理由は原判決理由第一の一および第二の一記載のとおりであるからこれを引用する。

二、本件用水に私権としての水利権が成立しないとの主張について

本件用水が天然の河川である多摩川(公水)から東京都の管理する玉川上水を経て原判決別紙第一目録の水路を流下する流水であり、目黒川に放流されるまで東京都内数区を貫流するものであること、現在はもつぱら雑用、工業用に使用されていることは当事者間に争いがない。しかして、成立に争いのない甲第一八号証、原審証人武田徹太郎の証言、原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果および検証の結果によれば、玉川上水は河川である多摩川を水源とし、徳川幕府の直轄工事により掘さくされた大規模の人工用水であり、飲料用、かんがい用を主たる用途とし、幕府がこれを管理したが、明治年代からは東京府の管理に属し、主として東京市(東京都)の水源として使われるようになつたこと、三田用水は、その延長は八、五〇〇メートルに及ぶが、玉川上水よりは規模も小さく、その水路もほとんど暗渠となつていること(暗渠の点は原審原告と国との間には争いがない。)が認められる。右の事実からすると、玉川上水は、公共の河川ではないが、その利用、治水の面から公共の利害に著しい影響をもつ流水であると認められるから、これを公水(公法上の規制を受ける水)と認めるのが相当である。また、三田用水は玉川上水にくらべて利水、治水の両面とも公共の利害に影響を及ぼすことは少ないけれども、その水流が相当長距離にわたることおよび利用価値の少なくないことなどから公法上の規制を受ける余地があるので、そのかぎりにおいてこれを公水と認めることを妨げないであろう。しかしながら、原審原告の主張する権利は、右の玉川上水から一定量の水を三田用水路にとり入れてこれを管理、使用する権利であつて、玉川上水および三田用水が公水たる性質を有するからといつて、私権としてのこのような権利の成立が当然に否定されるものではない。また、その権利の主体であることを主張する原審原告は公法人であり、その事業に関する行為は行政処分たる性質を有するとしても、なお私権としての水利権を享有することは可能である。要するに、原審原告の主張する水利権については、それが公権であるか私権であるか、その流水が公水であるか私水であるかをせんさくすることは、本件においてとくに意味はなく、その権利の内容、その主体である原審原告の性格等を具体的に考察することによりその存否が決定されるべきものである。

三、水積二一坪を除く本件水利権の得喪について

享保年間に、上目黒村等一四ケ村の農民がかんがい用に三田用水を使用することを徳川幕府から許されて本件水利権(水積二一坪を除く)を取得し水利団体三田用水組合が成立され、右の水利権は農民個人に帰属すると同時にその総体である右の水利団体にも帰属したこと、その後明治年間に至つて同組合から原審原告が右水利権を承継したものであり、右の一四ケ村の農民およびその水利団体が幕府から設定を受けた水利権はかんがいを目的とする農業水利権であつたと認められることは原判決の示すとおりであるから、右判決理由の該当部分(同理由中第一の二、五、六、七、第二の五、六。)を引用する。原審原告は、その有する水利権は用水の管理、処分権であるから、使用目的による制限はあり得ず、用途による制限を受けるのは組合員の有する利用権としての水利権である旨主張するところ、用水の共同利用者により水利組合が構成されている場合の水利権について、これを水利組合に属する管理処分権と組合員に属する利用権とに分けて考察することができることは前記のとおり(引用部分、原判決理由第一の七)である。しかしながら、水利組合が組合員のために公水を自己の管理する水利施設にとり入れ、これを支配する権利は、一般に水量においのみ制限を受け、使用目的による制限はありえないということは首肯しがたい。むしろ、水利権は水量とともに水の一定の使用目的による制限の下に存在するのが通常であり、使用目的が異なれば水利権としては別個のものと解するのが相当である。このことは水利組合に属する右の権利について当然該当するものと解される。とくに、本件のように水利権が農業水利権として成立し、かんがい排水に関する事業を目的とする法人である普通水利組合に属する場合には、その水利権は当然かんがいの目的の下に存在し、これに限定されるものであつて、その権利の内容が組合の事業目的の範囲を超えて拡張されることはない。以上のように、一定の水利目的に限定される水利権は、その水利目的が消滅したときに消滅するものであつて、水の使用目的を自由に転換して別個の目的の水利権として存続させることはできないものである。しかして、原審原告はその前身である三田用水組合からかんがい用農業水利権を承継したが、昭和初年に至り、組合区域が悉く宅地化されたため、かんがいの用途は全く消滅したことは前記のとおりであるから、原審原告の水利権はその頃消滅したものというべきである。なお、普通水利組合である原審原告あるいはその前身である水利組合が本件用水をかんがい用のほか雑用、工業用にも配水していたことは前記のとおりではあるが、右は組合や原審原告がその事業目的に支障のない範囲で用水を事実上処分していたものと解するのが相当であつて、右の事実から右の水利組合および原審原告の水利権は雑用、工業用をも目的とするものであつたとは認められない。また、原審原告が昭和初年以降はその目的事業を廃止しながら、解散することなく、本件水利権を管理して、もつぱら雑用、工業用に水を供与していたことは前記のとおりではあるが、右の事実は、原審原告が水利権消滅後も引続いて事実上玉川上水の水をとり入れて、これを管理していたことを示すに止まり、農地の消滅により水利権がかんがい目的の制約から解放されて、いかなる目的にも使用しうる水利権に転じ、かかる水利権を原審原告が行使するようになつたものと認めることはできない。

原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果および成立に争いのない甲第三〇号証の記載の中には右に反する見解があるが、これを採用することはできない。

四、水積二一坪の水利権の得喪について

原審原告は、本件用水のうち水積二一坪の水利権については、水積六坪を岩崎小弥太から、六坪を毛利元徳から、同九坪を北白川宮家から譲り受けたもので、雑用、工業用に使用しうる水利権であると主張するところ、成立に争いのない甲第三号証の一ないし七、第四号証の一ないし六、第五号証の一ないし四、第六号証の七六、一一九、一二八、原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果を総合すると、明治二四年以前には毛利元徳と伊藤博文とがその後は毛利元徳と岩崎久称とが三田用水路を通じて玉川上水から水積一二坪を分水して使用する権利を共有していたが、明治三〇年に毛利家では用水の必要がなくなり、引水を廃止したので、これに代り原審原告は水積六坪の水を使用するようになり、結局東京市の承認を得て右の水積の水利権を承継するに至つたこと、同様に大正一二年八月に至り岩崎家も玉川上水からの引水を廃止し、原審原告がその水積六坪の水利権を取得したこと、北白川宮家は同様に玉川上水から水積九坪を引水する権利を有していたが、大正一二年六月に至りその引水を止めたので、原審原告が右の水積の水利権を承継したことが認められる。しかしながら、右の証拠によれば、原審原告が右の三者から合計二一坪の水利権を承継したといつても、原審原告が従前の水利権に基づき支配しうる水量が右の水量だけ増加しただけのことで、原審原告がとくに雑用、工業用等の従来の水利権と性格の異なる水利権を取得したものではないことが認められる。したがつて、原審原告の主張する水積二一坪についても前記三に示したとおり、その水利権は昭和初年に消滅したものというべきである。

五、本件水利権(雑用、工業用を目的とする)の慣行または時効による取得について

前記認定のとおり、原審原告の前身である三田用水組合は享保九年以来田畑のかんがいを目的とする農業水利団体であつたのであり、水利組合条例により普通水利組合として法人格を与えられ、その後水利組合法の適用を受けるに至つてもその性質は変ることなく、同法第五条は「普通水利組合はかんがい排水に関する事業のために設置するものとす。」と規定して、普通水利組合の目的を明らかにしているのである。また、丙第一号証によれば三田用水普通水利組合規約第二条は、原審原告は、かんがいのため玉川上水を分水することおよびその水利施設を管理することをもつて目的とする旨を定めていることが認められる。ところで、解散前の原審原告の権利能力の範囲は、法人である原審原告の右の目的の範囲内に限られるものである。したがつて、その有しうる水利権は田畑のかんがいを目的とする水利権に限られるものであつて、かんがい目的から独立してもつぱら雑用、工業用を目的とする水利権は、その権利能力の範囲を超えるものであつて、これを取得することはできないというべきである。もつとも、前記のとおり原審原告はかんがい事業を行なつていた当時、雑用、工業用にも水を供給していたが、右は原審原告が本来の事業目的を害しない限度で組合員等に雑用、工業用に水を使用することを許していたもので、水利組合法第五三条の規定の趣旨からみても右の処分行為は組合に許されていたものと認められるが、右により雑用、工業用水利事業にまで組合の目的が拡大されていたものとは認められず、また、昭和初年以後は原審原告はかんがい用水利事業を全く廃止したにもかかわらず解散せず、もつぱら雑用、工業用のために本件用水を管理していたことは前記のとおりであるが、右の事実によつて普通水利組合である原審原告の事業目的および権利能力が変更されたものということはできない。

以上のとおりであるから、もつぱら雑用、工業用を目的とする水利権を慣行または時効により取得したとする原審原告の主張は、原審原告の権利能力の範囲外の権利の取得を主張するものであるから、その余の点を判断するまでもなく失当といわざるを得ない。

六、結論

以上のとおり原審原告は本件水利権を有するものとは認められないから、国および東京都に対して原審原告が本件水利権を有することの確認を求め、東京都に対して本件水利権の妨害予防を求める原審原告の請求は理由がない。

第四、国に対する本件土地所有権確認の請求および東京都に対する本件土地所有権の妨害予防の請求について

一、本件土地に対する「所有権」の成立について

成立に争いのない甲第二二、第三四、第三五号証、乙第一四号証および原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果に照すと次のとおり解するのが相当である。

徳川時代においては、土地に対する支配権として、近代的土地制度の下における所有権のような抽象的、観念的支配権、絶対的かつ包括的(一物一権主義的)な内容を持つ支配権は存在しなかつたのであつて、「所持」あるいは「支配進退」と呼ばれる具体的な支配権が土地の使用収益との関係において存在したものである。現行法の認める近代的所有権が成立したのは明治維新後近代的土地制度が確立したときであり、明治政府は、土地の領主的支配を廃止し、四民(士、農、工、商)のすべてに土地の所持を許し、地券を交付し、土地の売買の自由を認め、一方地租改正を目的として、全国の土地を官有地と民有地とに区分したのである。右の官、民有の区分は、その土地に対する人民の支配関係の存否、その強弱、およびその客観的明白性が基準とされたもののようであるが、本件のような水路敷である土地についての官、民有の区別の基準は必ずしも明らかでなく、明治八年七月八日の地所処分仮規則によつても、このような土地については民有の確証あるものは民有地、民有地の証なきものは官有としているだけで明確でない。しかし、入会地である山林、原野、溝等については、同規則、明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号、明治九年一月二九日地租改正事務局別報一一号達、同局出張官員心得書等によれば、一村または数村がその土地を自由に支配するとともに、積極的に管理してきた土地で、何村持とか村山、村林などと唱えてきたものは、租税の納付の有無、公簿の記載の存否にかかわらず民有地とされたものである。本件水路敷のような土地も官、民有の区分の具体的基準が明らかにされていない以上、右の入会地の官民有区分が該当するものと解される。したがつて、本件土地については、それが民有地として原審原告の所有となつたか否かは、原審原告がこれに対して前記の基準に該当するような管理支配関係にあつたか否かによつて決せられるものと解される。原審原告は、本件土地の所有権取得原因としてその前身たる三田用水組合が享保九年に徳川幕府から本件土地の所有権を無償で譲り受けたと主張するが、当時は前記のとおり近代的所有権は存在しなかつたのであるから、右の所有権という趣旨は、本件土地が明治年間に土地の官民有区分がなされた当時原審原告の前身である三田用水組合または一四ケ村の農民所有の民有地と認められるに足る管理支配権をいうものと解するのが相当である。

二、徳川時代に原審原告の前身である三田用水組合およびその構成員である農民が本件土地に対して取得した権利ならびに本件土地の所有権について

寛文四年徳川幕府が本件土地を上水路用地として農民から強制収用し、その直轄工事により本件水路を開設して玉川上水から引水したこと、徳川幕府が右の用水の使用を廃止した後、享保九年、当時の目黒村ほか一三ケ村の農民が本件用水の使用を許され、右の農民により水利団体である三田用水組合が設けられ、水利権は右の農民および水利組合に帰属し、同組合が右用水および水利施設の管理に当つて、明治時代に至つたことはさきに判示したとおりである。

右用水の開設の経過からみると徳川幕府が三田用水を開設してからその使用を止め、農民にその使用を許すまで幕府は右用水の敷地に対して直接的な支配権を有していたと認めるのが相当であり、農民その他の者がこの土地に対してなんらかの権利を保留していたと認めるに足りる証拠はない。しかして、前記のとおり享保九年、農民および三田用水組合が水利権を取得するに至つて、本件用水路敷地の支配権がたれに帰属するに至つたかについては、原審鑑定人渡辺洋三の鑑定の結果、成立に争いのない甲第二二、第三〇、第三四、第三五号証、乙第一二、第一三、第一五号証にみられるとおり、農民およびその水利団体が具体的、直接的な支配権(所持ならびに支配進退)を取得し、幕府は公的な管理権を有したに過ぎないとする考え方と幕府は御用地として依然これを支配し、農民および水利団体は右土地の具体的支配権を取得したもの(所持は幕府に、支配進退は農民に分裂)とする考え方が対立するところである。しかして、右の証拠によれば、徳川時代における土地に対する権利は前記のとおり、所持とか支配進退とか呼ばれる支配権であるが、いづれも土地の具体的、現実的な支配、使用収益の権能であり、土地を所持している者が支配進退していたのが普通であつて、所持すなわち支配進退と観念されたこと、しかしながら、右の所持については近代的所有権に近いかなり観念的、抽象的権利にまで高められたものがあり、その内容は、時代の推移、土地の性質(とくに経済的価値の存否)により異なること、徳川中期以降においては、所持していても支配進退していない場合、支配進退していても所持していない場合が生じ、このような所持(所有権に近づいた支配権)と支配進退(具体的な使用、収益権)とが分裂する傾向は、とくに、封建社会が解体に向う徳川後期に見られることが認められる。

ところで、本件土地については、徳川幕府および三田用水ないしはその構成員である農民以外に権利を有した者があつたとは認められないから、原審原告が本件土地につき所有権を有するかどうかは、前記のとおり、本件土地につき三田用水組合または一四ケ村の農民が、いかなる内容の権利を取得し、その権利行使の実状は明治初年の地租改正当時において本件土地が民有地と認められるに足りるものであつたかどうかを具体的に検討すれば足りるのであつて、右の権利関係が所持であつたか支配進退であつたか等の徳川時代の土地支配権の概念構成にとらわれる必要はないものと考えられる。

しかして、甲第二二、第三四号証、前記鑑定の結果に照して考察すると、前記のとおり、一四ケ村農民の総体である三田用水組合が、本件水利権を幕府から与えられた際に、同組合は用水の水利施設および用水路敷地を管理、支配する権利をも与えられたものと認めるのが相当である。三田用水組合は、前記のとおり農民とともに水利権の主体であり、用水の管理処分的権能は右水利団体に帰属するものであつて、玉川上水を分水して、本件用水路を流下させ、沿岸の農民に給水するという右の管理処分の権能は、特別の事情がない限り、用水路およびその敷地の使用、管理の権能を伴なうものであると認められるからである。しかして、徳川幕府が右の水利団体に本件土地の管理、支配権を与えるに当り、御用地としてあるいは地主として幕府に所有権的支配権を留保したと認めるに十分な証拠はない。成立に争いのない乙第一、第二号証は、その記載中の「掘敷御年貢御引分被成下候」をいかに解するとしても、結局本件用水路敷地が免租地であつたことを示すにとどまり、本件土地が享保九年以降も依然幕府の御用地として、その支配下にあつたことを示すものとは解しがたい。また、前記乙第一二、第一三、第一五号証によれば、天明八年三田用水組合十四ケ村惣代願書に記載された「掘鋪地所」および堰料についての記事は、享保九年以降もなお幕府が本件用水路敷地に支配権を有していたものと解される余地もあるが、甲第二二、第三五号証に照せば、右は本件土地に関する年貢、潰地補償および用水料に関する記事であり、同土地に対して幕府が公的領有権管理権を有していたことを示すものと解され、幕府の私的管理、支配権が存在したことの証左とはなしがたい。しかして、甲第二三号証および前記鑑定の結果によれば幕府の右の公的管理も次第に有名無実となり、管理費用は全面的に組合が負担するようになつたので、幕末に到つては、本件土地については三田用水組合は幕府からなんらの規制を受けることなく、自由に支配進退しこれを積極的に管理していたことが認められる。

乙第一一、一二、一三、一五号証の記載中以上の認定に反する部分は採用しない。

以上のとおりであるから、明治初年において、土地につき近代的所有権が成立し、官有、民有の区分がなされた際、本件土地に対し明らかに具体的支配権を有していたのは三田用水組合だけであり、前記一の官、民有区分の基準に照せば、本件土地は民有地、すなわち三田用水組合の所有となつたものと認めるのが相当である。

もつとも、本件土地については、それが水路敷地で除税地であるところから、地租改正を目的とする官民有区分につき当時政府も関心が薄く、また取引の対象となることが予想されない土地であり、かつ、一四ケ村の農民の団体が権利者であるところから、組合側の所有意識も薄かつたことが推測できるのであつて、後記のように地券の交付等のないまま放置されたのもその現われと認められるけれども、本件土地が明治初年以来国有地の取扱いを受けたり、三田用水組合や原審原告がその所有でないことを承認したような事実は認められない。

三、原審原告の本件土地の所有権の取得について、

以上のとおり、明治初年の地租改正に伴つて土地の近代的私所有権制度が成立するに及び、三田用水組合は従前の本件土地に対する管理、支配の実績によつて、その所有権者となつたものである。しかして、明治二三年水利組合条例の施行により、三田用水組合は普通水利組合として法人格を取得し、公法人としての原審原告が成立し、三田用水組合の権利はこれに承継されたところ、さらにその後水利組合法が施行され、原審原告は同法の適用を受ける普通水利組合となつたが、その権利義務の実体には変更はなかつたものであること前記のとおりである。したがつて、特別の事情の認められないかぎり、本件土地は原審原告の所有に属するものというべきである。

四、本件土地につき地券が発行されず、土地台帳にも登録されなかつたことおよび国有土地森林原野下戻法による下戻申請をしなかつたことについて

本件土地につき明治初年地券が発行されず、その後土地台帳に登録されなかつたことおよび国有土地森林原野下戻法(明治三二年法律第九九号)による下戻申請がなされなかつたことによつて三田用水組合または原審原告が本件土地の所有権を失つたものではなく、またその所有権を主張することができなくなつたものでもないものと当裁判所も判断するところ、その理由は原判決の理由に説示されているとおりであるから、同判決理由中右の部分(同判決理由第三の七および八)を引用する。なお付言すれば、本件土地について官有地編入処分がなされたとは認められないから、官有地編入を前提とする下戻申請がなされなかつたのはむしろ当然というべきである。

よつて、この点に関する国の主張は採用しない。

五、官民有境界査定処分の確定について

本件土地が国有地であること前提として、東京府知事により官民有地の境界査定処分がなされても、右査定処分は無効であり、右処分の確定によつて本件土地の所有権の帰属に影響はないと認められその理由は原判決の理由に示すとおりであるから、同理由中該当部分(第三の九)を引用する。

六、本件土地所有権に対する妨害の危険について

原審原告が、東京都が本件土地所有権を侵害するおそれがあるとして主張する事実は、これを認めるに足りる証拠はなく、かつ、右の主張事実は東京都が本件土地に対する原審原告の所有権を否認し、国の所有である旨を表明したこと以上には出ないから、東京都が原審原告の本件土地所有を侵害するおそれがあるとは認められない。

よつて、原審原告の東京都に対する本件土地の所有権妨害予防請求は理由がない。

第五、結論

以上のとおりであるから、原審原告の請求は、国に対して本件土地につき原審原告が所有権を有することの確認を求める請求は理由があり、国および東京都に対するその余の請求は失当である。よつて、これと同旨の原判決は相当であり、原審原告および国の各控訴はいずれもこれを棄却するものとし、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九四条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 上野宏 外山四郎)

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